お金があってもしょうがない時代がくる|『お金の不安という幻想』(内田学)

やまのて

こんにちは、やまのてです。


先日■「労働のしんどさ」についてのメモ|『きみのお金は誰のため』(田内学)を読んで という記事を書きましたが、その田内学さんの関連で『お金の不安という幻想』(田内学)を読みました。

この本は一言でいえば「これからの時代はお金だけためててもしょうがないよ」という警告の書でした。

お金の不安という幻想 一生働く時代で希望をつかむ8つの視点
お金の不安という幻想 一生働く時代で希望をつかむ8つの視点
朝日新聞出版
Digital Ebook Purchas


そんなこといっても、やっぱ金じゃん?と思いますよね。

えぇ、私も思っていました。

が、本書の中で紹介されているアリとキリギリスの話を聞けば、たぶん思いを改めることになると思います。

大きな問題は「少子高齢化」によるサービスの担い手の不足です。


サービスの担い手が不足すると、そのサービスの価値が上がります。

そうなると今後どんどん労働者が減っていくわけだから、全体のサービスの価値が上がっていくことになる。

ドライバーが不足していれば、ドライバーの待遇を改善して、人員を確保するわけですが、その費用というのは当然商品にプラスされることになるわけです。

じゃあ通販やめればいいということになるわけですが、これが電気ならどうでしょう。

ごみ処理や運転手ならどうでしょう。

人が足りなくなるということは、最終的には生活コストを爆上がりさせていくんですね。

そうなると今なら2000万円で老後をのり切れるかもしれないけど、10年後にはそれでは全然足りないことにもなりかねない。

だって電気代がつき5万円とかになってたりとか、ごみ収集の税金が月1万円になってるとかなったらもう生活はできませんよね。

っていうのは煽りすぎですが、そういう時代が近づいているということです。


ということに対して、整理して、支度して、直視して、協力するという4ステップで自分なりの道を探っていきましょうよ、というのがこの本の趣旨だと私は理解しました。



といっても、やっぱりお金がないのは不安だよねぇというのはぬぐえません。

そしてできるならやっぱり労働とは離れたい。

悠々自適な暮らしに、ちょっとしたスパイスとしての労働くらいの距離間で働きたい気持ちはなくなりません。

でもそれは多分やっぱり労働がしんどいからってのが一番の原因なんだよなというのは、本書を読んでも変わりません。

だから貯金はやめてませんが、昨今の物価上昇を見てると、確かにばかばかしくなってくる。

何ならためずに使った方が経済が回って最終的に将来にプラスになるんじゃないか、という気持ちもあって引き裂かれています。

うーん、お金の不安は幻想だとしても、お金の悩みは尽きぬ…。

だからみんな金を買ってんだろうなあ。


今の自分は生活に何の不満もないから、たぶんサービスの改善とかも思いつかないんだろうな。

若い世代とかはどうなんだろう。

本書でも若者が大人たちの危機感のなさを嘆いていたけど、自分もその大人たちの一人なのかなと思うと、なんか動き出したい気持ちになるけど、何やったらいいのかピンとこないんよね。

若者たちはもっとこうしたらいいとか、もっとこうすべきだとかっていう思いがあるものなのだろうか?

自分のようなオジサンはそういうのを支える立場なんだろうけど、そういうもまだピンと来てないくらいに危機感がないんだろうなぁ。


とりあえず私にできるのは「働くのがしんどい」っていうのを少しずつ削り取っていくことを考えることなのかもしれない。

自分のためにそうしていけば、あるいは世の中にも少しは役立つかもしれない。

いずれは何かサービスを提供する側に行きたいけど、それはちょっと勇気がいるかなぁ。

子どもが大きくなるまでは、踏ん切りつかないかも。

っていうのが、本書を読んでの正直な気持ちでした。

外国の方とうまくやる道を探した方がよさそう|『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー2』(ブレイディみかこ)を読んで

やまのて

こんにちは、やまのてです。


ブレイディみかこさんの『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー2』を読みました。

この話はイギリスで暮らすブレイディみかこさんがお子さんの周りに起きるさまざまな事象を社会情勢などと絡めて紹介するエッセイ…という紹介は少しあってない気もしますが、近年話題のポリティカルコレクトネスとか、ノンバイナリーとか、そういうテーマを絡めているエッセイ集です。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2(新潮文庫)
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2(新潮文庫)
新潮社
Digital Ebook Purchas


結構いろんなトピックスが詰め込まれていて、しかもそれが実生活に絡まって紹介されているので「はー、いま社会はそんなことになってんのかー」と驚くことが多かったです。

貧困の問題とか、移民の問題、それを地域社会がどう感じて、どういう現象につながっていくのかということが、中学2年生の生活にどのように影響するのかという具体的な媒介を得ることで克明にイメージしやすくなっている印象を受けました。

「そうか、貧困の人を助けると、こういうことになることがあるのか」とか、「緊縮財政で支援を少なくするってのはこういうことなのか」とか。


本書の中では日本の温泉街で働く外国人労働者の姿が描かれており、実務をこなすのは彼ら・彼女らであり、それを踏まえて街を見渡せば、コンビニでも多くの外国人が働いており、建築現場でも多くの外国人が働いており、親の働く介護施設にも多くの外国人が働いていることに意識が向きます。

多分彼らがいなければ、温泉は立ち行かず、コンビニは経営ができず、建物は作られず、介護は受けられないのだな、ということが突然立ち上がってくきます。


そういうのを感じると、なんとなくイギリスが進んでいる道は、これから日本が進もうとしている道に近いんじゃないかと思えてきました。

今後日本は間違いなく移民を受け入れざるを得ない国になってくるでしょうから、ちゃんと来てもらえるように、そしていい国だと思って社会の一員になってもらえるような仕組みを作る必要があり、イギリスではこんなことになってるよ!というこの本は、とても参考になるように思いました。

(問題は、そのうえで自分が何をするか、ということでしょうけど、それは保留で…)

Twitterのアカウント削除を振り返る

やまのて

おはようございます。やまのてです。


昨日は一日中休みだったので、結構ダラダラと過ごし、本を読んだり、記事を書いたりしていたのですが、かなりの時間をTwitterに費やしておりました。

Twitterは恐ろしいもので、気が付くと風呂でも布団でも意味もなく下に下にスクロールしては、他人の世の中への憂さを読んでいってしまいます。

あまりにも自分と違う価値観に少し怒りを感じたり、ぞっとしたり、そんなことをしていても何の意味もない(むしろ害悪)ことをわかりながらもやめられない、そんな状態になっているのはここ最近うっすら感じていました。

ということで、昨夜アカウントを削除してしまいました。


前々からアカウントを削除しようとは思っていたんですよね。

でも使っているメールアドレスが2度とアカウント作成に使えなくなるってことで中止著していたのですが、昨夜布団の中でのスクロール時間が1時間を超えたときに「こりゃだめだ」と思い、衝動的に消してしまいました。

いろいろな緩いつながりもできていたけど、しょうがないですね。

ひょっとしたら自分は人間関係リセット症候群なんじゃないかと思いましたが、何をいまさら感がぬぐえません。

多分そうなんでしょう。

白黒志向のゆがみもあるのかもしれませんし、拡大解釈気味だし、依存体質のきらいもありそうです。

だからまぁそういう人間なので、やっぱりツイッターは見ない方がいいような気がする。



振り返ってみれば、ツイッターはまだかわいい方だったかもしれません。

インスタグラムなんかは気づいたら3時回ってたとかもありましたし、ゲーム(マインクラフトなど)も同じような感じでした。

そう考えると自分の場合どれも物理的に離れることでしか解決しなかったことを思い出しました。

あれ、カフェインもお酒もそうだな…。

(お酒とは縁を切れずにいるけど…)

よく考えたら…人間関係もそうだわ。


人間関係リセット症候群なのはほぼ間違いないのはおいておいて、それくらい物理的なシャットアウトは強力ということですね。

ただまぁ根本的なところをちゃんと見つめていかないと、どうせツイッターが別の何かに代替えされるだけでしょうから、その辺はどうにかしていかないといけないのでしょう。

虚無へのアプローチの必要性を再確認しています。


ネットから離れるってのも一つの手段ではあるのでしょうけれど、そもそもスマホを持たない時期もあったけど、結局それも長続きしませんでした。

社会的な流れ故にどうしてもスマホを手放すことができないということは、ネットから離れ続けるなんてことも社会の一員としてはなかなか難しいことのように思われます。

ましてや家族がいると小学校の連絡やら仕事の連絡やらでネットナシはあり得ないし、こうしてブログを趣味にしているとなると、やはりネットナシというわけにはいかない。


昔『スエロは洞窟で生きていくことにした』という本を読んだときには、スエロさんが公共図書館のネットワークで記事更新をしていると読んで「それだ!」と思ったけど、やっぱり家に環境があれば、わざわざ図書館に足を運ぶこともなくなってしまった。

忘れてたけど、それくらい環境に甘えてしまうんだな自分は。

そうなるとやっぱり家族にあまり影響のない範囲で環境を変えるしかないわけで、そういう点では今回のツイッターのアカウント削除は、ちょっと衝動的な側面はあったものの、割と適切な対応だったんじゃないかなと思えてきました。


スエロは洞窟で暮らすことにした
スエロは洞窟で暮らすことにした
紀伊國屋書店

お金を使わないことの難しさ|『スエロは洞窟で暮らすことにした』を読んで - やまのてのブログ


TwitterをXと呼ぶのにいまだに抵抗がありますが、きっとJRを国鉄っていう人も同じ気持ちなんだろうなあ。

オジサンってこういうことの積み重ねでできていくのかもしれない。

虚無を終わらせるのは自分次第|『終わった人』(内館牧子)を読んで

やまのて

こんにちは、やまのてです。


今日は一日中家にいて、本を読んでいました。

読んでいたのは『終わった人』(内館牧子)。

63歳で定年退職したエリートサラリーマンが次の人生を見つけられず、最終的に…になるというお話。

終わった人 (講談社文庫)
終わった人 (講談社文庫)
講談社
Digital Ebook Purchas


とにかく最近自分が感じている虚無感にとても近いものを感じている主人公に感情移入が止まりませんでした。

ずいぶん乱暴な結論だけど、虚無っているってのは、多分、必要とされたいということなんでしょうね。

しかも、必要とされるための努力はあんまりしたくなくて、なんかのはずみで必要とされたい、みたいな主人公の浅ましさがすごい身につまされました。

(え、これ俺?みたいな)


始める熱がない、っていうことなんでしょうかね?

きっかけがあって、場と後押しがあれば働けるのに、自分ではそうできないみたいな。

何かを始めても、やっぱりそれが誰かに必要とされているものでないと気が乗らない。

内発的動機が大切というけど、その内発的動機にきっと他者への貢献とか他者からの感謝みたいなものが絡んでいるのかもしれません。

そういうのを少しずつ成仏させていき、ソフトランディングさせる必要があるのだそうです。


本当は細かいこと言ってないでさっさと動いて恥かいて失敗すればいいんですよね。

主人公みたいな大失敗はそうそうないわけで、あんまりビビらずに飛び込んでみて、合えばやればいいし、合わなきゃやめればいいっていうくらいの軽い気持ちでいろんなことを体験すればいいのでしょう。

そのうち自分に合う環境が見つかったり、気づくと自分がその環境に適応したりするのでしょう。

それはわかっちゃいるけど、動けない。

それが虚無の始まりなのですね。


だからまぁ案外虚無を壊すのはわけないのかもしれない。

動き出して、それを続ければいいんだから。

ということは、あとは自分次第…というがこの本から突き付けられたことでした。

なかなか厳しい…!



「オジサン」にすでに片足を突っ込んでいる(?)自分には、主人公の娘の言葉の数々がぐさぐさ刺さりました。

定年退職が近い人だけでなく、ミッドクライシスに直面しているサラリーマンにも楽しめる作品ではないかと思います。

「労働のしんどさ」についてのメモ|『きみのお金は誰のため』(田内学)を読んで

やまのて

おはようございます。やまのてです。


昨日から『きみのお金は誰のため』という本を読んでいます。

きみのお金は誰のため: ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」【読者が選ぶビジネス書グランプリ2024 総合グランプリ「第1位」受賞作】
きみのお金は誰のため: ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」【読者が選ぶビジネス書グランプリ2024 総合グランプリ「第1位」受賞作】
東洋経済新報社
Digital Ebook Purchas

この本は、元ゴールドマンサックスのトレーダーである田内学さんが書いた本で、個人が見ているお金への視点と、社会的な視点から見るお金の違いについて説明をされている本です。

ミクロとマクロの違いが大きく、でも個人がお金を使うとはミクロのことで、そのミクロの考え方がマクロに大きな影響を及ぼすから、マクロの視点を持ってミクロのことを考えて行動し、社会をよいものにしていこう、というのが本書の狙いだと私は受け止めています。(まだ途中ですが)


当初は正直に言って「投資で稼いできてお金に困らない人が、何を言おうとしているんだろう?」と謎のけんか腰で読み始めましたが、読んでいればなるほどと思う点は多いし、お金は「あくまでもツール」という社会的な視点からのお金の意義みたいなものもわかってきます。

が、それでもやっぱりお金は強いというのが私の現時点での感想でした。

それはなぜか、つまり、労働がしんどいからです。



この「労働がしんどい」っていうのが、人々がお金に権力を持たせてしまう大きな理由の一つになってるんじゃないかなと思いました。

「労働がしんどいから、極力少ない労働で生活をしたい」

そういう欲求があるから、お金を楽して得られることを求める方向に社会が向かっている気がする。

楽して生活ができる椅子取りゲームみたいな感じ。


でもこれから少子化で、サービスを提供できる人が減ってくるということは、どうにか必要な労働をしてくれる人を増やさなくちゃいけないわけで、そのためにも「労働がしんどい」をどうにかする必要があるわけですね。

うん、確かに働き方改革が必要そうです。


でもさ、正直に言うと、長時間労働だからしんどい、休みが少ないからしんどい、ってのももちろんあるとは思うんだけど、それだけじゃないじゃん。

人的な摩擦とか、労働者への要求度合いの高まりとか、そういうので現代は疲弊し始めているんじゃないかなと思うのです。

だから、せめて国や自治体には無駄な仕事を減らすようにお願いしたい。

例えば年末調整をもう少しわかりやすくするとか、社会保険料の手続きを簡略にするとか、そういう形で国全体の資源の最適化に動き出してもらう必要があるのではないかと思います。


そして、そのためにはやっぱり今のところ投票というのが私たちの持っている力の一つではあるんだろうなぁと思います。

労働党みたいな党が出来て、週4日勤務、フリーランスの税制優遇、副業のしやすさ、共働き世帯・片親世帯への支援などの強化・推進、などを盛り込んで打って出たら、結構いい線行くんじゃないかな?

ほかにも団結して大きな組織を作っていくってのもやっぱり重要なんでしょうね。

人の数=票の数なので、大きくなればなるだけ社会への影響力は馬鹿にできなくなる気がします。


もちろん賃金労働だけではなくて、社会で生活をしているだけでお金を回す存在ではあるわけだから、お金を稼いでいない人も仕事以外で社会にサービスを提供してもらえるようにしていけばいいし、空いている時間だけ働けるようになるってのもいいかもしれません。

日本にたくさんいるニートや引きこもりの人たちのなかにだって、きっと労働のしんどさがなければ働きたいって人は多いはずだし、主婦だって空いた時間に1~2時間だけ働きたいって人はいるでしょう。

そういう人に社会参加してもらえる方法を考えていくのも、きっと重要な仕事ですよね。



というわけで、この本を読んでいて思ったのは、「もっとお金を使って楽しよう」ということでした。

でも正直、貯金がないとやっぱり不安だし、できれば不労所得で生きていきたいっていう気持ちはぬぐい切れません。

それはまぁそれとして、とりあえず「お金の選ぶことのできる力」を発揮させながら社会参加していくってのを、意識しながら生活すれば、少しは虚無感から逃れられるかな?というのを期待して、生活を営んでみたいと思いました。

結構面白かったので、読み終わったら田内さんの『お金の不安という幻想』も読んでみたいと思いました。

お金の不安という幻想 一生働く時代で希望をつかむ8つの視点
お金の不安という幻想 一生働く時代で希望をつかむ8つの視点
朝日新聞出版