【ラン月報2025年3月】ロング走と膝のトランジションの反省

こんにちは。やまのてです。

2025年3月もあっという間に終わってしまいました(先月も同じこと書いてた)。

怒涛の新年度が始まり、もうじき終わりを迎えようとしています。

そしたらGW…っ!休む…っ!


3月はラマダンに挑戦をした関係で、少し走行距離は減りましたが、走りたい気持ちを抑えることができず、最終的には162.8kmとなりました。

一応、目標だった150kmを達成することができました。




今回よかったこと

日中の断食を少しでも楽にするために朝のルーティンランをやめようと思っていましたが、結果的にルーティンを再開してからの方が日中の断食が楽になりました。

そのおかげで150kmを達成できたのはあるのかなぁと思います。

また、断食を中断する日において、極力長い距離を踏もうと思い、20kmのランニングを2回やったのも大きく寄与していると思われます。

特に1回目のロング走は自宅をエイドとして周回コースを作って走ったところ、家族(子どもたち)が捕食のサポートをしてくれたりして、それがとても楽しかったのというのが大きな収穫です。

2回目のロング走では山手線一周を試みたのですが、こちらは半分となる20kmで膝の痛みから残念ながらDNFし、残りの区間はすべて歩きとおしました。

結果は残念ですし、膝の痛みはその後も引きずるのですが、コース自体はとても楽しく、またやりたいなぁと思わせてくれるものでした。


ロング走の際には、なるべく食べることを意識しました。

これがまた楽しかったです。

くるみ餅、羊羹、ウイダーインゼリー、手巻き寿司などを食べながら走りましたが、食べること自体がモチベーションにもなるので、今後も楽しみながら練習に取り入れていきたいなと思いました(ちょっとお金がかかるのが難点ですが)。


膝の故障に関する反省

3月の末に実施したセルフチャレンジの「山手線一周」で、膝を痛めてしまい、その一週間ほど走ることができなくなる程の故障をしてしまいました(トモさん風に言うと、トランジション)。

ちょっと違和感を感じ始めた時に感じたのは、ハムストリングスの外側のハリ。「あぁなんか張ってるなぁ」と感じて少し下くらいから、膝の外側が痛くなり、まずは下りがだめになって、そのあと平坦も走れなくなり、最終的には登りも走れなくなったので、走ることを断念しました。

症状から見るに、おそらくランナー膝。

何となくですが、最初に感じたハムストリングスの柔軟性がないことが起因している気がしました。

後は靴もだいぶソールがへたっているで、それもよくなかったかもしれません。

ということで課題としては以下のようなものと考えます。

  • とりあえず新しい靴を買う
  • ドカ走りせず徐々に距離を積み上げる
  • ワラーチをためす
  • 補強やストレッチを試みる
  • 急がない、頑張らない



4月について

4月は、いよいよトレランのデビューをしたいのですが、目下膝が心配なため様子見です。

執筆時の11日現在ではすでにルーティンを再開しており、膝はまずまずの感じなので、月の後半にデビューできるといいなぁと思っております。

少し雨が多そうなので、どこまで走れるか分かりませんが、とりあえず今月は1割増しの170km~180km位を目標に走れるといいなぁと感じています。

一週間しっかり休んだためか、ルーティンランの楽なペースでの速度が上がっており、時期を見て、ちゃんと身体を休ませた方がいいことを実感しました。

ただ、それがどのくらいの頻度や期間でやるといいのかは、わかりません。

ゆえに、いくらでも楽しめそうでありがたいとも思えます。

2025年3月の飲酒状況についてと辛かった飲み会の話

こんにちは、やまのてです。
2025年の3月は本当に速攻で過ぎてしまいました。

ようやく年度末が終わりに近づいているのを感じる今日この頃です。

無事に来週が終わったら、俺がっつり休むんだ…(フラグ)


2025年2月が、
・飲んだ日が5日
・内は飲みすぎ日はなし
・連続飲みの日もなし
でしたが、翌2025年3月はどうだったか、振り返ってみたいと思います。


2025年3月の振り返り


2025年3月は、

・飲んだ日が4日

・内のみ過ぎた日が1日

・連続飲酒はなし

でした。


それぞれ飲んだ日の内訳は以下のとおり


・3/11 ビール500ml×1、ビール6%350ml×2

妻の不機嫌に耐えかねた。家事はうまく回らないし、眠気から来るストレスもある。この酒で断ち切りたい。

・3/23 ビール350ml×3、500ml×1

飲み会で辛くなり、切り替えるために飲んでしまった。最後のロング缶がよくなかった。

・3/28 ビール6%350ml×2

仕事頑張りすぎた

・3/30 ビール6%350ml×2

疲れゆえに(山手線一周)


先月は全体的に肉体的な疲れと、気分の浮かれ、仕事の不安が飲む原因でしたが、3月については肉体的な疲れが半分と、精神的なダメージが半分といったところでした。

年度末でめちゃくちゃ忙しかったけど、それに関する不安から飲む、ということは少なかったのが強いて言えば違いでしょうか。

とはいえ、残業が増えると家事が回らないというストレスもあることから、やはり仕事はほどほどで切り上げられないとストレスになりそうです。

(とはいえ、仕事がうまく切りを付けれないとそれはそれでストレスになりそう)

この辺はうまいことやり過ごすか、ちょっとずつ切り上げる練習をしていく必要があるのかもしれません。

2025年2月のお酒状況と影響を受けた作品たちなど - やまのてのブログ


辛かった飲み会の話

上にも書きましたが、3月23日に飲み会があり、この夜はビールを4缶飲むという飲みすぎの日に当たります。

どうしてそんなに飲んでしまうことになったのかというと、その飲み会があまりにも辛かったのですね。

「大人になると友達は減る」というのは聞いていましたが、まさかこういう形で友達が失われるとは思っておらず、現実を受け入れるのが少し苦しくてお酒に頼ってしまいました。

とりあえず現段階でおよそ2週間が経ち、気持ち的には落ち着いてきているので今後のために整理をしておきたいと思います。


顛末

・小学校からの友人との飲み会にて、開始から2時間ほど経ったころになんの拍子か装飾品(仮にオブジェとします)のサブスクサービスの話になった(ちなみに月数千円のサービス)。

・その友人(Aとする)曰く、「芸術を楽しむことは、感性を磨くことになる。ゆえに、芸術を楽しもうとしないやつはおかしい」と彼は言う

・私は「芸術を家の中で楽しむというのは、豊かでいいね(豊かだからできてうらやましい、できるから豊かになるといういみでいいね、の両方の意)」と発言(しかし我が家にはスペース的にも家計的にもそんな余裕はなく、私も別にあまり芸術に関心はない)

・A「お前はなんでやらないのか?」

・私「家の狭さ故、芸術品をおける環境ではない」(とだけ言っておく)

・A「なぜ引っ越さないのか」

・私「なんで芸術品のために引っ越さないといけないのか?」

・A「もっと広いところにすめばいいじゃないか」

・私「家計的にも厳しいところはあるよ(こんなこと言わせんなよ)」

 ※ちなみに我が家は自分がフルで、妻がパート。相手の家は大手企業の共働き。収的には1.5倍から2倍くらい違うんだろうと思います

・A「なんで奥さん働かないの?」

・私「!…」(驚きと悲しみでなにも言えず)


所感

・飲み会全体を通じて、会話のテーマもあんまり自分の興味のある世界とは違うことを感じた

・共働きが当たり前で、私の妻が働いていないことが甘えのように言われていると感じてしまった。

 しかし、新卒を逃すと、なかなか正社員として働くのは大変であることを彼はたぶん考慮していないし、そこに様々な経緯がある可能性が一切考えられていないようなトーンだったことに絶望感を禁じえなかった。

・最後に自分のママチャリを見てドン引きした顔を忘れることができない。

 たぶんあまりにも庶民的過ぎたのだと思われる。


教訓

芸術品を欲しいとは思わないが、芸術品を楽しむ生活は素晴らしいものだと思います。

それには空間的な余白と、家計的な余裕と、楽しむ教養があってなりたつものだと思っています。

故に否定することもなく、肯定的に受け取り、返したつもりではありました。

しかし、たぶん私の言葉の端々や表情に、自分の関心のなさがこぼれてしまっていたのだろうと思います。

彼が今の地位や生活を、自身の努力で勝ち取り、それを維持することに多大な努力を払っているのだとしたら、私の態度はよくなかったかもしれないと思わないでもありません。

しかし、それって子どもすぎない?というのが正直な感想。

そもそも現状が、たまたま運がよかっただけ、自分が恵まれているだけ、という感覚が一切ないことに驚きます。

努力すればできるし、それができないのは努力不足、やらないのは感性が終わってる、という断罪は少し雑すぎやしないか。

とはいえ、夜に酒を飲まないと切り替えられない自分も少し感情的になりすぎていたな、と今では思います。

冷静な対応としては、彼がトイレに行っている間にでもお金をおいてさっと帰ればよかったのかもしれません。

飲み会は1時間半が理想、2時間が限度、3時間を超えると地獄。

今後の人生のためにも、これは覚えておきたい。


彼は普段とてもいいやつなので、その言動が酒のせいであることにしたいけど、なかなかその整理ができていないというのが正直なところです。

きっと自分も酔うと彼のようになっててのたんだろうと思うと彼を責めることはできないはずなのに、それでもまた会いたいという気持ちはわかない。

あぁ、そんな風に思っていたんだ…という悲しい気持ちのほうが強いです。

30年近い付き合いがあり、自分の気持ち次第でまだ友達としての関係を保てるはずなのに、そう思えないことが結構大きなダメージになっている気がします。

でもまぁ他人には自分から見えない面があることを学ぶ経験ができたと思えば、ありがたい気持ちにもなるし、よくない面をお酒が引き出すのだとしたら、やはりお酒は怖いことを再確認できた飲み会となったといえるのかもしれません。


くわばら、くわばら。

依存症の処方箋としての「つながり」とその実践事例紹介『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』

精神科医の松本俊彦先生と文学研究者で自助グループを運営している横道誠先生の往復書簡集である『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』を読みました。

とても面白かったです。

酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話
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これまで私は、アルコール依存症には「最終的には断酒するしかない(減酒は通過点)」と私は思っていましたが、必ずしもそれがすべてではないという点が目から鱗でした。

依存というのは表面に現れている現象にすぎず、その裏に本質的な苦しみや葛藤があることが多いため、依存を断つこと(お酒で言えば断酒)をゴールにするのではなく、困っていることを解きほぐしていくことが大切なのかもしれません。

…と、断酒をしきれない自分を少し肯定してくれる優しい本でした。


なんたって、「『断酒を目指そうが、減酒を目指そうが、治療効果はさして変わらない』」(P.59)というのです。

しかも、アルコールに問題のある人のうち、約4割の人は何の治療も受けないまま自然治癒しているのだとか(P58)。

まぁだからと言って自分がその4割に入れるかは怪しいのですが、かといって「もうだめだ」と決めるには、「6割」ってのは少し心もとない数字とは思えました。


ヒエルラキーのないつながりという処方箋

松本先生から、コカイン依存症患者の認知行動療法に関する研究において、治療期間が長ければ長いほど、治療頻度が高ければ高いほど、治療転帰がよい、という紹介がされていました。(P.61)

面白いのは、この患者たちの生活を調べると、認知行動療法で学んだ対処スキルはほとんど使われていないということです。

つまり、治療に役立ってるのは認知行動療法による対処スキルではなく、治療そのものであり、それはつまり人(医者や支援者など)とのつながりに治療効果があるということではないか、と松本先生は言います。

ゆえに「回復のコミュニティ」が重要である、と、自助グループを主宰している横道先生に振っていました。


また、回復のコミュニティにおいて重要だと思われることに「ヒエルラキーの否定」があるということも提言されていました。

サルの研究において、物質依存に陥りやすいのは「支配されているサル」であり、逆にボスザルは物質依存に陥りにくいという結果があるそうです。

つまり支配する・支配される関係は依存症を生みやすい環境である可能性が高いということですね。

ゆえにそういう関係を取り除いたコミュニティがいいと。


でもって横道先生の方は、実際にどんな自助グループを運営しているかと言えば、曰くいくつかのルールを設けているのだそうで、その内容は以下のように紹介されていました(P.179-180)

・じぶん自身で、共に

・診察・カウンセリングとは別物

・傾聴

・守秘義務

・入退室自由

・じぶんにも他人にも優しく

・他者を否定しない

・説教しない

・助言は提案として

なるほど確かにこういう言論空間であれば、自分の開示もしやすく、他者を受け入れやすいかもしれません。

そしてこれらのルールというのは、何も自助グループだけはなくて、日常生活にも生かせるものだと思いますし、日常生活にこそ生かすことによって新規・既存のつながりを創出・補修できるものではないかなと思いました。

関連記事:2025年1月のお酒状況と影響を受けた作品たちなど - やまのてのブログ(の中で少し触れています)


そうやって他者とつながった先に依存症の回復がある、だけにとどまらず、人との新しいつながりは新しい人生につながっていく、ということまで本書最後のギャンブル依存症にかかわる鼎談にて話されていました。


本当に、希望が湧きます。


禁止ではなく害を減らす(ハームリダクション)

松本先生曰く、禁止をすると人は別のものにもっと強く依存をするそうです。

覚せい剤を禁止すれば脱法ハーブへ、アヘンを禁止すればヘロインへ、などなど。


そもそも人がどうやって依存症になるかと言えば、「苦しみをその依存物質・行為によって取り除くことができることに気づき、自発的にその目的でしようするから」ということがあるようなので、根本にある苦しみを取り除いてあげない限り、依存の対象が変わっていくだけで解消にはならないのだとか。


しかも悪いことに、禁止をすると、その禁止された物質の摂取や行為を取ることで、犯罪者というレッテルが貼られてしまい、周囲の人とのつながりが壊され、支援やケアからも遠のく可能性があるそうです。

あまり意識してきませんでしたが、「覚せい剤やめますか、人間やめますか」というフレーズの恐ろしさに身の毛がよだちました。


そうではなくて「覚せい剤がやめられない原因は何なのか」を考え、「どうすればその害を減らせるか」というハームリダクション(害を減らす)の考え方が重要なのだと書かれていて、なるほどと思いました。

詳しい内容は本書を読んでいただくとして、「自分が仮に依存症になっちゃったら」と思えば、上のように非人間として迫害されるよりは、害を減らす方向で支援してもらえる方がありがたいだろうなと思います。


また、このハームリダクションの考え方は、自分を顧みるのにもとても参考になりそうです。

「どうして私はやまのては、酒がやめられないのだろう?」「どうやったら自分の酒の害を減らせるかな?」と考えるだけでも、「自分は酒をやめられない意志の弱い豆腐メンタルくず野郎で、生きていてもつまないし人に迷惑をかけるだけだから酒でも飲んで意識を混濁させた方がましだ」というような果てしのない自己否定から、具体的な分析と対策に落とし込む方向に意識を向けることが出来そうです。



とまぁこんな感じで、読むと「変に自分を特別視していたけど、依存症ってのはそんなにおかしいことでもないし、絶望することでもないのかもしれない」と思えてくるのが本書の素晴らしい点だと私は思いました。


仏陀は「人生は苦である」と言っていますが、であるならばそこには必ず依存症の下地があるわけで、それがたまたま顕在化しただけだと思えば、自分に対しても「まぁ、しょうがないんじゃないの?」と思えます。

おそらく、みんな違って、みんなダメなのでしょう。


この「まぁ、しょうがないんじゃないの?」って思えるってのは、結構ありがたくて、それだけでも随分と気が楽になります。

そして「しょうがないんじゃないの?」とうい立場でいれれば、割とすんなり自分の状況とか、苦しみとかを受け入れられるような気がしています。

そこからの問題は、その苦しみをどう取り除くか、ということになってくるので、やはりその辺りは周りの支援者を見つける必要があるのでしょう。

そういう時に横道先生のやっているような自助グループってのが、とてもよさそうで、そういうロードマップを得られることで得られる安心感、みたいなものも、本書の意義の一つかと思いました。


松本先生の『世界一やさしい依存症入門』を読んでから読んだので、実践編という感じで読めてとても楽しく読めました。

関連記事:困った人は、困っている人かもしれない『世界一やさしい依存症入門』 - やまのてのブログ

世界一やさしい依存症入門; やめられないのは誰かのせい? (14歳の世渡り術)
世界一やさしい依存症入門; やめられないのは誰かのせい? (14歳の世渡り術)
河出書房新社

【ラン月報2025年2月】ルーティン+αと線路沿いの旅

こんにちは、やまのてです。
2025年もあっという間に2月が終わってしまいました。
3月が終わればまた新年度。
そうこうしてたらゴールデンウィークが来て、お盆を終えればもう暮れで…なんて感じで早くも年の瀬を感じないでもない今日このごろです。


おかげさまで2月もランニングの月間走行距離200kmを達成できました。
内容について振り返りたいと思います。




今回良かったこと

ルーティンの確立+α

先月みんチャレのおかげで毎日の朝2.7kmのルーティンがあるからそれだけで結構走れると書きましたが、2月についてはそれがかなり板についた感覚があります。
むしろ走らないと気持ち悪いくらいな感じです。
それにプラスして、週に2日ほど昼休みに20分走るようにしたおかげで夕方のメインラン以外のランニング量が増えました。
この2つのルーティンだけでも月間にして70〜80km位になるのでバカに出来ません。
走力にプラスになってるかはわかりませんが、少なくとも朝と午後の仕事始めにいい影響を与えてくれている感覚はありますので、このまま続けられたらと思っています。
関連記事:【ラン月報2025年1月】みんチャレ効果と楽しさの要素 - やまのてのブログ


色んな線路に沿って走る

また、先月、「なんか楽しい目標を持ったほうがいいかもしれない」と振り返り、その後思いついたものの一つが、「線路に沿って走ってみる」ということでした。


私の職場は、割と近くに色々な電車が走っておりまして、普段は小田急線沿いに走ったりしていたのですが、今月は少し足を伸ばして世田谷線沿いや、京王線沿いにチャレンジしてみました。
線路に沿って走ると、起伏が少なく、ぐねぐねと走らされて、自然と色んなスピードで走ることになります。
そうすると、特に意識しなくても様々な刺激が入ってくる感じが走っていて心地よかったです。


途中でエスケープもしやすいですし、駅に近づくと風景が変わったりするのも楽しかったです。
安全面についても、夜でも線路沿いは街灯が多いのでありがたい。
京王線沿いは割と線路沿いに住宅なども少なく、線路に沿って走りやすかったので、新宿〜八王子ランもいつかやってみたら楽しいかもなぁなんて思いながら走れるのもまた良い感じでした。


3月について

3月は、少し暖かくなるのでたくさん走りたいところではあるものの、諸般の事情から日中に長時間の運動が難しく、細々と走る感じになるかなぁと考えています。
1日5kmくらいを目標に、月150kmくらい走れるといいなぁ。
ただ、残業も増えそうなので、どうなることやらって感じです。


別に走らなきゃいけないわけじゃないので休み月にすればいいのでしょうけど、それでも走りたくなるのはある意味依存に片足突っ込んでるんだろうなと思います。
4月になったらトレランデビューをしたいので、それに向けて少し準備する月にできたらと思います。



ういえば先日、朝のルーティン(通勤ラン)中に職場の方も同じように走っているところへ遭遇し、図らずも一緒に走って出勤することになりました。
人と走るなんて何年ぶりだろう?という感じでしたが、これがとても楽しくて感激しました。
何を話すわけではないのですが、普段話す機会のない方であり、仕事の関係の人とランニングしながらランニングの話をすることの楽しいこと楽しいこと。
その人の違った一面が見れました。
自分もそのうちやっぱりチームかなんかに所属して、たまには誰かと一緒に走りたいなぁとの思いを強くした朝でした。


3月も楽しんで走ります!

2025年2月のお酒状況と影響を受けた作品たちなど

こんにちは、やまのてです。
2025年の2月もあっという間に過ぎてしまいました。
もう年度末ですよ!忙しくなるなぁああああああ。


2025年1月が、
・飲んだ日が4日
・内1回は飲みすぎ
・連続飲みの日が2回(MAX2日)
でしたが、翌2025年2月はどうだったか、振り返ってみたいと思います。

2025年2月の振り返り

2025年2月は、
・飲んだ日が5日
・内は飲みすぎ日はなし
・連続飲みの日もなし
でした。


先月の1月の時には、「連続で飲まない」をやっていきたいと書いてあったので、それはいい感じに達成できたようです。
関連記事:2025年1月のお酒状況と影響を受けた作品たちなど - やまのてのブログ


不思議なもので、連続飲酒をしないぞっていうのは、私的には結構ハードルが低く、そんなに苦しくはありませんでした。
いいことかはわかりませんが、「まぁ明日飲めばいっか」というポジティブな(?)先延ばしと、「今日飲んだら明日は飲めない(酒に逃げれない)」というネガティブな先延ばしの両方があり、そのイタチごっこで飲まない日が結果的に増えていったように思います。
まだまだ断酒は難しいですが、減酒にはなかなかいい方法なのではないかと思えました。


ちなみに、それぞれ飲んだ日のメモは以下のとおり。


・2月2日:お出かけで人込みと情報量から疲れた…(純アルコール量32g)
・2月13日:仕事で気になることがあり飲んでしまった。(純アルコール量40g)
・2月16日:なんとなく翌日の仕事が憂鬱で、疲れもあって飲んでしまった(純アルコール量40g)
・2月18日:記念日で飲んでしまう。あまり飲みたい気持ちはなかったが、飲み始めるとやっぱり飲んでしまう。そして眠りが浅い(純アルコール量44g)
・2月23日:帰省での子ども対応に疲れる。一々反抗されるとへとへとになってしまう。(純アルコール量44g)


ちなみに、おおむねビールばっかりでした。


ルーティンを崩したくないというモチベーション

先日みんチャレという習慣化のアプリを紹介しました。
いまでもそれを使っており、現在は10個の習慣を日々トラッキングしております。
さらに別のアプリで日々忘れそうなことなどをトラッキングするような環境を整えております。
この上に加えてランニングをしたり、仕事の残業なども乗っかってくると、1日24時間というものがとてもタイトになってきます。
関連記事:習慣獲得に「みんチャレ」がなかなかよさそうな感じ - やまのてのブログ


私は走るのが好きで、毎日走りたいのですが、そのためには疲労回復に睡眠が削れません。
加えて家族との時間も、仕事に向き合う時間もしっかりとほしい――。
こういう欲張りな生き方をしていると、お酒を飲むことがルーティンを滞らせることにつながり、あまり飲みたいと思わなくなってきているような感じがあります。


それはつまり逆でもあり、ルーティンが滞りそうなほどの「疲れ」や「不安」を強制的にお酒で切り替えている部分も否めません。
まぁ…良くはないよなぁ…と思います。
ということで、たぶん修行が必要なのでしょう。
お酒以外にも、自分の中で「切り替える方法論」をたくさんストックしておけるようになることが必要な気がします。


影響を受けた動画や本たち

先月の終わりごろに、『世界一やさしい依存症入門』という本を読みました。

世界一やさしい依存症入門; やめられないのは誰かのせい? (14歳の世渡り術)
世界一やさしい依存症入門; やめられないのは誰かのせい? (14歳の世渡り術)
河出書房新社

この本で書かれていたのは、依存症になるのは依存しているもの・ことにしか依存できないから、ということでした。
私の場合はそれがお酒だったため、今月は人に依存する方向で試してみております。
つまり、つらいことがあった時などは、とりあえず妻に話してみる、ということをしておりました。
これがなかなか悪くない感じです。
関連記事:困った人は、困っている人かもしれない『世界一やさしい依存症入門』 - やまのてのブログ


もちろん思った返答でないときも、それは違うんじゃないか?と思うリアクションもありますが、それでも受け止めてもらえると、やっぱり翌日以降の気持ちが変わってきます。
上の飲んだ日も、飲みながら聞いてもらったりして、そのおかげで飲み過ぎに至らずに終えることが出来たという側面もきっとあるのでしょう。


会話の際にはなるべく「アサーションな態度」でいることを心がけましたが、できてるかどうかは何ともわかりません。
でもまぁアバッキオの友達も言っていました。

『そうだな… わたしは「結果」だけを求めてはいない 

「結果」だけを求めていると人は近道をしたがるものだ……… 

近道した時 真実を見失うかもしれない 

やる気もしだいに失せていく』

『大切なのは「真実に向かおうとする意思」だと思っている 

向かおうとする意思さえあれば たとえ今回は犯人が逃げたとしても いつかはたどり着くだろう? 向かっているわけだからな …………違うかい?』

はい、そのとおりです。
関連記事:自己承認から他者と関係性を作り上げていく技法『アサーション入門』 - やまのてのブログ



今月はこんな感じですかね。
アサーティブな会話という点で言えば、先日走りながら初めて「Replicant.fm」というポッドキャストの番組を知り、そのMCのKentaroさんがめちゃくちゃ聞き上手、話し上手でした。
この人の話のうまさを、どうにか言語化して真似したいなぁと思いました。

これは別記事で書ければ嬉しいな。


あとは、昨日から『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』を読み始めました。
この本は先月の記事でも触れた横道誠先生と松本俊彦先生の2人の往復書簡が本になったもので、今のところ1往復目を終えたところですが、のっけから横道先生の開示が凄いことになってます。
自助会の描写なども含め、今月の私にたぶん影響を与える本となることが予想されます。

酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話
酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話
太田出版
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今月3月もどうなることやら予想は付きませんが、とりあえず連続飲酒は避けて過ごしたいなぁと思います。