やまのてのブログ

酒を飲んだら飲まれちゃうからなんとか飲まずに過ごしたい。

下に抜かれて悔しい悲しい辛い

新卒からサラリーマンを始めて、早十数年が経ちました。


これまで後輩が何名かできましたが、昨年から下についた後輩がまぁ優秀で。


人柄もよく、仕事も素早いし、すぐ職場にも馴染むようなやつでした。


この4月で丸一年となるのですが、ついに課長から自分を差し置いてその後輩が仕事をやることになったのを受けてこのタイトルです。


自分でも課長がそうする気持ちはよく分かるし、正直ホッとしている部分もあるのですが、能力の序列が明確になってしまったのが結構なダメージとして自分に降り掛かってきました。


悔しい気持ちが止まりませんが、でも一方でそりゃそうかという気持ちも押しては返す複雑な心境です。



恐らく多くのサラリーマンはこういう経験をしつつ、次のステージに向かうのでしょう。


(あるいはこういう経験をしない人がどんどん昇進をしていくのかも知れませんが…)


そう考えればとてもありきたりな通過儀礼のひとつなのかも知れません。


実際自分が人柄をよくできるかといえば難しいですし、仕事の素早さも伸びしろを残している余裕はないし、職場にはあまり馴染みにくいと言うか人との関係構築がうまくないのでたぶんその後輩のいい面に勝とうとしても勝てないのは目に見えています。


じゃぁどうするのか?、と言われれば、別にこれまでどおりにやりますとしか答えられません。


確かに抜かれてしまったのは辛いけど、能力に年齢は関係ないですし、彼には彼の個性が、私には私の個性があるわけなので、別にそれについてウジウジしても仕方ないと(今は)思います。


どうせ私が感じていることは、ほとんどみんなが共有しているはずなので、あとは管理職の方がそれぞれの能力をうまいこと組み合わせて仕事を円滑に進むように差配してくれればいいだけです。


とは思ってても、やっぱり頭の片隅で悔しさが反芻しています。


徐々に慣れてくしかありません。


どうせこのあともたくさん抜かれるのでしょうから、慣れる場面には事欠かない気がします。


苦しいときほどとにかく手を動かす。難しければとにかくつぶやく。

先日坂口恭平さんの『よみぐすり』(東京書籍)を読み、改めて手を動かすことを意識せなならぬと思いました。


よみぐすり
よみぐすり
東京書籍


私たちのような「ぐるぐる考えやすい人種」はそうやって意識をそらせてやる術をいくつも開発し、実践し、継続していくことで生きやすくなると思えます。


手を動かしている間は、考えないで済みます。


ただ、やっぱりいつでも手を動かせるというわけでもありません。


ぐるぐる思考は、トイレでも、通勤中でも、読書中でも語り掛けてくるからです。


そういう時には、瞑想を行って呼吸に意識を向けるのがいいんじゃないかなぁと頭では思うのですが、なかなか実践するとなると難しいもの。


そこで私がおすすめしたいのは、「つぶやく」こと。


この「つぶやく」というのは、ツイッターでのツイートのことではありません。


本当に生身の人間の口から言葉を出すことを意味します。


人間はどうも、言葉を発しているときは意識して深く考えることができないようです。


つぶやいている内は、浮かんできた思考も捕まえられずに流れていきます。


この性質を利用して、とにかく何でもいいからつぶやく。


つぶやくことがなければ「つぶやくことがない」とひたすらにつぶやいていく。


そうやってつぶやいていくうちに、徐々におなかの重たい感じがなくなってきて、もっといいことをつぶやきたい気持ちになってくるので、そしたらいい言葉をつぶやく。


別になんでもよくて、自分が言ってもらったら嬉しい言葉を自分につぶやいてあげるイメージがおすすめです。


もしもっといい言葉がないかなぁと思われたかたは、沢瀬直太朗さんの書籍を読んでみるとしっくりするものが見つかるかもしれません。


なぜその言葉を唱えるだけで折れない自信が身につくのか?
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仕事のやる気が一気になくなったので私、定時で帰ります

今日は仕事で色々あって、全然仕事に対するやる気がなくなってしまいました。


もう全然頑張りたいとは思わないので、これから省力モードでやっていき、楽しいと思える仕事だけ頑張ってやっていきたいと思います。


苦手な仕事はきっと他の誰かがやってくれるだろうし、他の人が苦手な仕事をたぶん自分はできるので、そういう感じで持ちつ持たれつでやっていければいいやという気持ちです。


別に大したことではないのに(今でこそそう思うけど、その時はちょっと許せない気持ちだった)、こんなにも一瞬でやる気ってなくなっちゃうんだなぁと驚いています。


でもまぁやる気ない状態でどこまでやれるかってのを試してみるいい機会なのかも知れません。


そんな感じで今日は定時15分後に上がって筋トレをやりました。


筋トレをやると気分がとても落ち着きましたが、やっぱりやる気は戻ってきません。


明日も同じくらいに上がって、物書きでもしてから帰ろうかなと思います。


砂糖断ちが難しいのは、厳密には断てないからではないか

断酒を始めてから72日が経ちました。


お酒への欲求はかなり減っておりますが、代わりにお菓子を食べることが止まりません。


ついついスナック、アイス、チョコレートなどのお菓子に手が伸びてしまいます。


色々な記事や書籍、動画を見ると「タンパク質を摂ろう」「食物繊維を摂ろう」「お菓子は麻薬」などと知識は得られるのですが、なかなかやめられません。


断酒であればスパッとやめて72日もそのままでいられるのに、どうして砂糖・お菓子はこうもやめられないのか。


これは、結局糖質は避けることができないからではないかと思います。


どうしても食事の中に糖質は入っており、砂糖を断つ、お菓子を断つと言っても、その糖質の程度を制限するという、言うなれば節酒に対する節糖みたいな側面があるのだと思います。


私はアルコールの使用障害者の一人なのですが、そういう人間は節酒ということができません。


飲み始めると、行くところまで行ってしまいます。


1日1合で辞めるということができないので、断酒に至っているわけです。


ところが糖質というのは、とても基本的な栄養素であるがゆえに、それを取らないということがほとんど不可能に近いため、どうしてもいくらか摂取せざるを得ない。


故にその糖質が、別の糖質を求める、ということになってしまっているのではないか、というふうに思っています。


たぶんこれは血糖値の問題だと私は今のところ捉えており、だからなるべく血糖値を挙げない食べ方をしているつもりではあるのですが、血糖値にかかわらず目の前に美味しそうなお菓子があるとついつい目が奪われてしまいます。


本当は家の中に甘いものを置かないのが一番なんでしょうけれど、家族と一緒に住んでいるとそれも難しいですね。


さらに砂糖依存は症状がアルコールと違ってマイルド(周りにあまり迷惑を掛けない)なことから、いまいちそのヤバさが理解されないので、なかなか根本的な解決が図りづらいという点もお菓子断ちの難しさを強めていると思われます。



アルコール、カフェイン、ポルノというのは0にできるから今のところ離れられていますが、砂糖断ちへの挑戦は、とても長いものになりそうです。

誰もお酒を勧めない優しい世界

新人研修の担当をしており、昨日は研修に伴う懇親会がありました。


私は幹事として、食事、飲み物、その他のもろもろの準備を行ったのですが、今年の飲み会はアルコール類の残り方が尋常ではありませんでした。


新人含めて、受け入れ先の先輩社員も全然飲まない。


もちろん半分くらいの人が車で通勤されているので、そんなには減らないかもなぁと思って買っていたのですが、9割近く残ってしまい、好きな人に持って帰ってもらうようにしました。


皆本当はお酒そんなに好きじゃなかったんだろうなぁと思いました。


加えて驚いたのが、誰も新人に「何飲んでる?」とか聞かないし、何かを注ごうとかそういうやり取りも全くなかったのです。


ハラスメントの意識が醸成され、不用意にアプローチしない雰囲気ができつつあるのでしょうか。

とても優しい世界だと思います。



私は古い世界も少しだけ経験した世代にはなるので、その辺の注いだり注がれたりというのも経験しました。


私も当時は面倒なことやるなぁ、飲みたい人は勝手に飲めばいいのに、と思っていましたが、年を取ると少しだけ見方が変わります。


あれは、コミュニケーションのきっかけだったのです。


注ぐとか、注がれるとかを通じて、話のきっかけを作りやすくするための儀式みたいなものだったのですね。


加えて、時々訪れる会話の切れ目のつなぎの役割もあったのかもしれません。


そういう視点で言えば、この酒を勧めない優しい世界は、新しいコミュニケーション技術が涵養される世界なのかもしれないなぁと思いました。



とまぁこんなことを考えながら飲み会の時間を過ごし、1時間ほどでお開きとしました。


酒を飲んでいないと1時間がとても長く感じられます。


次回は45分くらいでいいかもなぁと思いました。


これは奇しくもランチと同じくらいの時間数で、ひょっとしたらしらふであまり親しくない人たちと食べながらおしゃべりする時間というのは、このくらいが楽なのではないか、などと一人で少し話を広げながら帰路についたのでした。