経営の会議において、変化の速度が強調されるが、対応には若返りが必要だから、まずは御人らの処遇について懸念を呈することから初めてはといつも思う。
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多分どこもそうだと思うよ。
経営者は偉いことを言う割には自分を正当に評価できない側面がある。
それが人間らしさであり、故に組織は定期的に腐ることがあると思う。
むしろそれが普通ではないでしょうか?
どの経営者もブチャラティにはなれない。
ましてや従業員にそれを求めるのはおかしいのではないか。
経営者の感覚を持つということは、すなわち経営者の視点を持ち、それに抗うための準備をすることと解釈しなければ、使い捨ての雑巾にされるのが落ちではないかと思います。
距離感をしっかり図るということが求められる社会になってきたと言うことなのでしょう。
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そもそも人の幸せってのが時代に合わせて変わるのかが怪しいと思いませんか。
技術は人の幸せの形を変えるとは思えません。
せいぜい幸せを得る効率を高めるくらいです。
得てして効率化は幸せと反します。
なぜならプロセスを無視するから。
目の前の美食を胃に直接入れることが幸せかどうかということです。
ましてや目の前にの食事を食べずに、電気信号で舌に感知させることが幸せと誰が思いますか?
効率化もいいことはいい。
しかし幸せに無条件で向かうための手段になるなんてのは浅はかな考えです。
馬鹿は改革が好きというのが私の考え方です。
小さな修正を蔑ろにする姿勢こそが馬鹿だと思いたい。
改革のベースには、何か変えたい個人的な理由があると考えてまず間違いはないでしょう。
だって誰にも答えはわからないのですから。
答えのわからないことに対して断言できる人は、馬鹿か、もしくは断言することで喜べる人です。
つまり私も馬鹿の一人ですね。
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基準が金に置かれていることがそもそもの始まりに思います。
足るを知る。
素晴らしいではないですか?
なんでそんなに向上心をもなくちゃならないのか。
クソ食らえです。
何事も程々でいいと教える教育ないなら、私はそれを伝える者でありたい。
汝なやむことなかれ。
汝ほどほどであれ。