Twitterのアカウント削除を振り返る
おはようございます。やまのてです。
昨日は一日中休みだったので、結構ダラダラと過ごし、本を読んだり、記事を書いたりしていたのですが、かなりの時間をTwitterに費やしておりました。
Twitterは恐ろしいもので、気が付くと風呂でも布団でも意味もなく下に下にスクロールしては、他人の世の中への憂さを読んでいってしまいます。
あまりにも自分と違う価値観に少し怒りを感じたり、ぞっとしたり、そんなことをしていても何の意味もない(むしろ害悪)ことをわかりながらもやめられない、そんな状態になっているのはここ最近うっすら感じていました。
ということで、昨夜アカウントを削除してしまいました。
前々からアカウントを削除しようとは思っていたんですよね。
でも使っているメールアドレスが2度とアカウント作成に使えなくなるってことで中止著していたのですが、昨夜布団の中でのスクロール時間が1時間を超えたときに「こりゃだめだ」と思い、衝動的に消してしまいました。
いろいろな緩いつながりもできていたけど、しょうがないですね。
ひょっとしたら自分は人間関係リセット症候群なんじゃないかと思いましたが、何をいまさら感がぬぐえません。
多分そうなんでしょう。
白黒志向のゆがみもあるのかもしれませんし、拡大解釈気味だし、依存体質のきらいもありそうです。
だからまぁそういう人間なので、やっぱりツイッターは見ない方がいいような気がする。
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振り返ってみれば、ツイッターはまだかわいい方だったかもしれません。
インスタグラムなんかは気づいたら3時回ってたとかもありましたし、ゲーム(マインクラフトなど)も同じような感じでした。
そう考えると自分の場合どれも物理的に離れることでしか解決しなかったことを思い出しました。
あれ、カフェインもお酒もそうだな…。
(お酒とは縁を切れずにいるけど…)
よく考えたら…人間関係もそうだわ。
人間関係リセット症候群なのはほぼ間違いないのはおいておいて、それくらい物理的なシャットアウトは強力ということですね。
ただまぁ根本的なところをちゃんと見つめていかないと、どうせツイッターが別の何かに代替えされるだけでしょうから、その辺はどうにかしていかないといけないのでしょう。
虚無へのアプローチの必要性を再確認しています。
ネットから離れるってのも一つの手段ではあるのでしょうけれど、そもそもスマホを持たない時期もあったけど、結局それも長続きしませんでした。
社会的な流れ故にどうしてもスマホを手放すことができないということは、ネットから離れ続けるなんてことも社会の一員としてはなかなか難しいことのように思われます。
ましてや家族がいると小学校の連絡やら仕事の連絡やらでネットナシはあり得ないし、こうしてブログを趣味にしているとなると、やはりネットナシというわけにはいかない。
昔『スエロは洞窟で生きていくことにした』という本を読んだときには、スエロさんが公共図書館のネットワークで記事更新をしていると読んで「それだ!」と思ったけど、やっぱり家に環境があれば、わざわざ図書館に足を運ぶこともなくなってしまった。
忘れてたけど、それくらい環境に甘えてしまうんだな自分は。
そうなるとやっぱり家族にあまり影響のない範囲で環境を変えるしかないわけで、そういう点では今回のツイッターのアカウント削除は、ちょっと衝動的な側面はあったものの、割と適切な対応だったんじゃないかなと思えてきました。

- スエロは洞窟で暮らすことにした
- 紀伊國屋書店
- 本
■お金を使わないことの難しさ|『スエロは洞窟で暮らすことにした』を読んで - やまのてのブログ
TwitterをXと呼ぶのにいまだに抵抗がありますが、きっとJRを国鉄っていう人も同じ気持ちなんだろうなあ。
オジサンってこういうことの積み重ねでできていくのかもしれない。