お金を使わないことの難しさ|『スエロは洞窟で暮らすことにした』を読んで

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マークサンディーン著『スエロは洞窟で暮らすことにした』を読みました。
とても面白かったです。
スエロさん(本名ではない)が、紆余曲折あって最終的にお金を使わないで生きていくためにどうしているか、はたまたどうしてそうなったのか、ということをまとめた本。
宗教的な側面からの動機もかなり大きく、敬虔さゆえにお金で人が救えないことの辛さが蓄積していった様子も描かれていた。
宗教に関して言えば、キリスト教では富は悪とされている。
なのにアメリカではそれが平然とないものにされているとスエロさんは憤る。
あらゆる土地が誰かのもので、お金を使わずにどこかで寝泊まりすることは基本的に違法となり、キャンプをしていいところでも最長2週間のような決まりがある。
キリスト教の国なのに、キリストのように生きることは許されない、という言葉がとても印象的だった。
それにしても、と思う。
なんだってこうも彼の暮らしぶりは魅力的なのだろう。
そして、その一方で自分にはできないような気がする――。
お金を持たないことは、あらゆるわずらわしさから自由なように見えるのですが、一方でそれで生きていくためには、ゴミを漁り、あらゆる資産・所有物・契約を破棄しなくてはならない。
自由とは、まさにそれとセットであるのに、そちら側に行くのを妨げるのは、間違いなく私にも偏見や執着があるのだと思わされます。
ゴミを漁ることに対する偏見、相続を手放したくない執着、などなど。
限りなくお金を少なくしていくことと、お金を所有しないことには、とてつもない跳躍が必要だと感じます。
著者のマークさんは、ゴミを漁ることは、資源の活用、輸送コストの削減などの観点からも地球環境にポジティブなものだと言います。
おっしゃるとおりだ!
でも、目から鱗が落ちたわけではなく、やはりそれでもゴミを漁ることへの抵抗感が私に付きまとい続けました。
どうにかゴミを漁ることなく、必要なものがみんなのところに届くといいなぁ。
そのための仕組みがさまざまにあるにはあるけど、そのためにはインターネットにつながる必要があり、それには電気が必要で、端末が必要で、それらを所有することで自由が減るのか増えるのか、うーん…という感じ。
アイルランドの環境活動家であるマーク・ボイルさんは、そんな風に考えて結局テクノロジーから離れていった。
スエロさんは洞窟で暮らすことにした。
私はどうしようかしら。

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