やまのてのブログ

酒を飲んだら飲まれちゃうからなんとか飲まずに過ごしたい。

【読了】酒飲みの社会学

酒飲みの社会学(清水新二著、素朴社)を読みました。

酒飲みの社会学―アルコール・ハラスメントを生む構造
酒飲みの社会学―アルコール・ハラスメントを生む構造
素朴社

日本でアルコールハラスメントが起きる原因は、社会全体がアルコールの存在を前提としたシステムを取っていること(アルコホリック・ソーシャル・システム)に起因する、という主張をする本でした。


日本の飲酒の特徴は、共に飲むことと一緒に、共に酔うことまで期待されているところにあり、その背景には「逸脱」への恐怖心があると説明されています。
つまり、日本人の飲酒を含む様々な「良くない行動」は、周りの人に「レッテル貼り」をされる要因となります。
日本人の「良くない行動」は、他者の目によって自主規制をすることでコントロールされてきており、一度「逸脱」した者は、集団の絆を強めるためのスケープゴートにされてしまうという文化があるためだ、という論です。
こうした他者の目を意識することは、犯罪率の低下などにもつながるため、一概に悪いとは言えないのですが、人々の生活の幅を狭めており、またこうした文化が「アル中=逸脱者」との認識を生むことで、治療の必要な人が「依存症と認められない」という反応につながってしまうと指摘もされていました。
実際日本人のアルコール中毒者は、病院に繋がったタイミングですでに内蔵に障害があったりするケースが多いのだとか。


幸いなことに、私などは自分のお酒の良くない取り方に気づき、勝手に「アル中認定」をして病院に行きましたが、実生活の上ではそれほど大きな変化はありません。
仕事上でも、露骨なアルコールハラスメントは今のところ受けていません。
(もしかしたら、裏では色々言われているのかな?)
連れは少しさみしそうですが…。


著者の調査では、農村よりも都市のほうがアルコール中毒に対する偏見が強く、一度「逸脱者」とみなされると、なかなか受け入れてもらえないようです(と言うか、農村のような距離の近い人間関係だと、酒乱以外のいい面を知っているため、そうした面においてその社会に受け入れられることが多いとのこと)。
でも、正直都市は、あまり隣の人とも関係ないし、仕事での席を除けば、飲む機会がそもそも少なく、むしろ酒をやめやすいのでは? と思ってしまいます。
日本人はとにかく「ハレの日」を作って飲みたがるようなので、距離の近い人間関係の多い農村の方が飲む機会は多そうです。
そうなるとその分農村のほうが酒害も多くなりそうな気がしてきます。
しかし、そこには常に家族や近隣の方の監視の目がありますから、それが抑止になっていると説明されていました。
逆に都市は、止める人がおらず、単身者も多いことから、どんどん酒害が進んでしまうのだとか。


となると、都市で結婚して家族がいる私は、アルコールをやめる上ではそこそこいい環境にいたのかもしれません。


あとは、この本が書かれたのが1998年なので、それから20年経ってかなり文化が変わったこともあるのでしょう。
著者も執筆当時の段階で、「平成モデル」として今後酒の消費は減っていくだろうと予測していますし、すでに飲まない若者が増えてきていることを指摘しています。


また、同時に、ハラスメントについての認識が広く世に浸透したことで、無茶な一気飲みなどの文化はどんどん減っているように思います。
失敗シリーズで紹介した「アルハラの長」も入社して6年目には、多少落ち着いていたことを思うと、なるほどアルハラの普及は素晴らしいなと感心していまします。
というか、今までがおかしかったんですよね。
アルハラの長 - やまのてのブログ


著者は、1998年段階のトレンドとして、「どんどん酒のプラス面が強調され始めている」と書いています。
これは、先日紹介いたしました『飲酒文化の社会的役割』とも合致します。
【読了】飲酒文化の社会的役割 - やまのてのブログ
やまのてのオフタイム: 【読了】飲酒文化の社会的役割(ジェリー・スティムソン他著、アサヒビール株式会社)


一方で、『飲酒文化の社会的役割』と読み合わせると、『酒飲みの社会学』において日本の特色として紹介されている酒についての考え方が、「海外でも割りと似たり寄ったりなんだなぁ」という点もいくらかありそうです。
それは、次の記事で取り上げてみたいと思います。


参考記事
やまのてのオフタイム: 【読了】酒飲みの社会学(清水新二著、素朴社)


GRDⅣにて。
桃の花④(上から)
春っすねぇ。
その他のGRDⅣの作例はこちら→やまのて写真館

×

非ログインユーザーとして返信する