テクノロジーと人間の関係について
昨日の記事で「ファイナルファンタジーX」が、人間のできることを突き詰めすぎた先におきた悲劇を物語としていると書きました。
一方で、どこまでもできちゃった作品も存在します。
そういう作品として私が思いつくのが『天元突破グレンラガン』です。
観たことない人はまったく話がわからないでしょうから、ぜひ一度観ていただけると良いと思ます。
とてもおもしろい作品です。
中川翔子『空色デイズ』 ~ 天元突破グレンラガン special music video ~
とにかくこの作品は「前へ、前へ」という作品で、ドラゴンボール並にテクノロジーがインフレしていきます。
強い敵が現れると、その敵を持っている力でねじ伏せ、ねじ伏せた相手のテクノロジーを模倣して更に強い敵を倒しに行くということの繰り返し。
その果てにあるのは宇宙全体を支配している敵と戦い…というお話です。
キャラクターは個性的で、ストーリーは胸が熱くなり、手には汗を握る疾走感と爽快感があります。
私は友人からDVDを借りて観ましたが、24話、一気に見ました。
それくらいドーパミンの放出が止まらない作品です。
映画版はアニメの内容が圧縮されていて短時間で観れるので、まずはそちらで楽しむのもありかもしれません。
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しかし、楽しんだ一方で観終わったあとに、ちょっと怖くなった記憶があります。
結局彼らは一歩間違えると、倒した敵と同じ立場になりかねないのではないか。
あのテクノロジーを維持するために、表に出ていない搾取される者たちがどれだけいるのだろうか。
実際に作中でも作り上げた平和を維持するにあたっては一枚岩になれず内部から崩壊しかけるシーンもありました。
そしてもう一つ、結局このあとも戦いは終わらないのではないか、という不安が頭をもたげたのを強く覚えています。
作中では宇宙を支配する敵を倒すわけですが、実はその宇宙を支配する敵を支配している敵がいて、そいつを倒しに行くみたいな話が延々と続くように思われたのです。
正直、きりがないなって、思いました。
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結局テクノロジーの進歩はきりが無いのです。
私が気持ち悪いなと思うのはその点です。
どこまで言っても満足できない。
いや、満足できるはずなのに、そうさせてもらえないというのが正しいのかもしれません。
そうやってテクノロジーに頼っていけば頼っていくほど、テクノロジーなしの暮らしができなくなってしまいそうな、そんな不安を感じずにはいられません。
『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』の著者マーク・ボイルさんは、そういう不安に抗って、そのモデルの一つを示したのでしょう。
彼の続編がとても楽しみです。
また、一方でファイナルファンタジーXでは「シン」にそれが託され、倒されました。
確かファイナルファンタジーXにはX-2という続きがあったはずなので、近いうちにどんな話だったか、プレイしてみたいけどそういえばもうハードがないや。
オープニングだけYoutubeで観て、シンを倒したあとの世界でまずライブかとちょっとさみしい感じがありますが、多分やればまた違う印象なんだろうなと思います。
まぁXの方でもブリッツボールが民衆の楽しみだったし、ユウナが踊っていてもそんなにおかしくはないのかな…。
でも歌うのは変じゃない?