やまのてのブログ

酒を飲んだら飲まれちゃうからなんとか飲まずに過ごしたい。

メディアリテラシー(5)

今読んでる『脱スキルのしごと術』についての本は、著者自身が編集者としてスキルアップ教の布教に努めていたと書いていたり、様々なビジネス書の著書(というよりも著者)を眉唾ものと言ったり、なかなか痛快な内容に富んでいる本である。
本書を読むと、メディアに対しての自分の姿勢を改めさせられる思いがする。
というのも、メディアは受け手に気持ちのいい情報を流すものだという例がいくつも上がっているからだ。
理由は簡単で、売れる必要があるから、だ。
売れない媒体に広告を載せる企業はないし、取材に対応する多忙な著名人もおるまい。
キリスト教が広まったのは、貧しい人々や社会的な弱者の中に燻るルサンチマン(強者への恨みの念)を鼓舞したからだとニーチェは言ったと誰かから聞いたことがある。
本書のいう「スキルアップ教」も、会社内で危機感を持つ窓際族や立場の弱い人がなんとか生き抜く必要性を感じているところにー悪言い方をすればーつけ込んで(書籍代、セミナー代などの)金を巻き上げているという構図が見て取れる。
免罪符に似てないとも言えまい。


この事から拡大解釈すれば、メディアが盛り上げていることは、金になる事なのだ。
社会の風潮を操作して儲けたい企業は広告を使うだろうし、その広告を載せる媒体はペーパーレス時代、視聴率の上がらない現代において、社会的な意義を持って出版・放送するよりも経営を続けるための資金確保が優先となり、とにかく金になる情報を流すようになるというのはそんなに破綻した理論ではないと思う。


何が言いたいかというと、あんまりメディアに乗せられない事が大事だということだ。
メディアの言うことは政治家の言うことくらい怪しいと思っていたほうがいい。(実はメディアと政治は一部で強固につながっているなんてことはここでは話題にしない)
タイトルのメディア・リテラシーとは、そういうことです。
過信しすぎないこと。
全てにおいて、このバランス感覚がリテラシーと呼ばれうるものだと思う。


そんな風に疑いながら生きるのは、ずいぶん大変ではないかと思う部分もないではないが、そのために先人の知恵があるのではないか。
もちろん先人の知恵はすべてが正しいわけではなく、今では時代に則さない部分もあるでしょう。
だから自分で振り分ければいいのではないでしょうか。


「ご都合主義の保守思想」といえばなんだか右寄りの人からも左寄りの人からと訝しがられそうですが、めんどくさくてもそうやって自分で自分の人生を納得させてやる手続きを踏むことで、食い物にされずに過ごしていくことが叶うのではないかと思います。
この思想は時代に合わせて随時更新していく必要もあるので、悪く言えば「ふらふらする人」ですし、良くいえば「柔軟な人」と周りに評されることでしょう。
ここでのポイントは両面があるということです。
結局、同じことしても評判は別れるのです。
あんまり他人の言うことは気にしないほうが吉でしょう。
ましてや他人の外にいるメディアなんてものの言うことなど、気にするだけ損だという気がしてきたところでこの話をおしまいに致します。



こんなこと言ってると、じゃあ最初に挙げてる本も信用できないのではないか?との疑問にぶつかる。



今日も残業。8時上がり。
疲れて飲みたい気持ちが湧いてくる。
さっき飲んだし食べたのに飲みたいのはなぜなのか。
胃と食道の継ぎ目がもぞもぞするような渇きを感じる。
不思議な渇きだ。
身体が何か求めているのか、脳が何かを求めているのか?
甘いものをほしいわけでもない。
炭酸を飲みたいわけでもなく、塩っ気がほしいわけでもない。
離脱症状の一つなんだろうか?



風呂に入って体を温めると、なんだかのどが渇いてきた。
炭酸水をぐびっとやると、あら不思議。
渇きが消えた。
身体を温めたのが良かったのだろうか。

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